私さえ我慢すればいい、が悲劇の始まり

2017年2月18日

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私と前夫が出会ったのは21歳の頃でした。
当時の私には男らしくグイグイ引っ張ってくれる前夫が魅力的に見えました。
そして、恋愛フィルターがかかり、何を言われてもされても「素敵」としか映りませんでした。

今思えば、彼の都合のいいように扱われていただけなんだと思います。
そして、その男らしく素敵に感じた彼はバツイチで子供が2人いると聞かされました。

子供が虐待を受けていたから、彼が子供を引き取っていると打ち明けられ、「実の子に対して虐待をするなんて、ひどい!」と同情し、「私ができることをしてあげたい!」と感じるようにすらなっていました。

基本的に好きな人に対して尽くしたい・何か力になりたい・役に立ちたいという気持ちが強すぎるんだろうと思います。それが私自身にとって良くない方向に向いてしまっていました。

自分に自信がまったく持てなかったので、余計にそんな気持ちが強すぎたと…
結局、依存体質だったんですね。

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妊娠、勘当…そして、暴言…

不意打ちの様にして、前夫の親や兄弟に会い、いつしか結婚することが当たり前のように扱われ、私もその状況に幸せを感じるようになっていましたが、漠然とした不安は感じることもありました。

結婚ってこんな感じでするものなんだろうか?
なんか違う気がするんだけど…でも、後戻りはできないよね…。
こんな不安定な気持ちのままで結婚していいのか?

こういった漠然とした不安はあったものの、やはり、私をお嫁さんに欲しいと思ってくれている前夫と別れるなんて選択肢は、当時の私にはありませんでした。

親や友達から結婚をどれだけ反対されても聞く耳を持たず、

そして、妊娠し、

そして…
ついに、父から(だけ)勘当されました。

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どうしても子供を産みたい!

彼と結婚したいと言い張る私に、祖母は「籍は入れず、子供は産んで連れて戻っておいで」と言ってくれましたが、結婚して幸せな家庭を作る。

私は3人のお母さんになったんだ!
ここが私の居場所なんだと、一生懸命に言い聞かせていたのだと思います。

当時のことを思い出すと、納得いかないこと、悔しいこと、腹立たしいことがいっぱい思い出されます。

私の祖父が、前夫の親に挨拶状を送った時なんか、何が気に入らないのか、ろくに読まずにいきなり「上から目線だ!嫁にもらってやるのに、頭を下げにすら来ないとはどういうことだ!失礼だ!」と手紙を投げつけられ激怒されました。

私には今でも祖父が書いてくれた挨拶状が失礼な文面だとは思えません。

また、私の実家から季節の贈り物や、息子たちへのプレゼントを送ってくれた時も「こっちが欲しいものを聞かずに贈られるのは迷惑だ」「あんたの実家は、なまっていて(私の実家はほぼ標準語に近く、逆に前夫の親のほうがなまりが強いのですが)、何を言っているのか分からない」という理由で一切お礼を言わないという事もありました。

当時は本当に悩みました。
嫁というものは、怒ったり反論したりすることはいけないことだと思っていたからです。

そして、そんな反論めいたことを言ったら、前夫やその家族に何を言われるかと思うと、自分が我慢すれば済むことだと、必死に我慢して言い聞かせていました。

当時の私は先にも述べたように本当に“自分に自信がない”人間でした。
結婚しようが、子供がで出来ようが、誰に褒めてもらおうが、そこだけは変われませんでした。

自信がないものだから、いつも誰かに認めてもらいたい気持ちが強くはたらき、自分の意見も言えない人間にもなっていました。

そして、今思うことがあります。
いつもぐっと堪えて我慢をしている私の不満を察し、前夫はイライラしていたのかも…と。

それが、積もり積もってDVに発展していったのかもと思うと、何とも言えない気分になります。

DVは、する側はもちろんのこと、受ける側にも何らかの原因があると言われます。
DVを受けてる人からしたら、到底納得いかないことかもしれません。

でも、今なら、このことが何となく分かるような気もします。
もちろん、理解はできるものの、納得は出来ない部分がほとんどですけどね(^-^;

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